皆さんは難関大合格という高い目標を掲げ、それに向かって日々勉強に励んでいることだと思います。もちろんそれ自体素晴らしいことですし、努力は継続していただきたいのですが、特に難関大合格を目指すにあたっては、「努力の方向」も極めて重要な意味を持ってきます。今回はそうした「努力の方向」についてお話ししたいと思います。
知識のインプットは重要だが、そこには罠も
少し想像してほしいのですが、「英単語をたくさん覚えている人」と「英語の成績が良い人」は完全に一致するでしょうか?「世界史の年号を完璧に覚えている人」が「論述問題で点数が取れる人」でしょうか? 多少の重なりは当然あるにしても、必ずしも一致するとは限らないと思います。これにはインプットとアウトプットの関係が少なからず影響しています。
もちろんのことながら、難関大に合格するためにはかなりの知識量が要求されます。したがって、インプットが重要であることは当然で、皆さんに今さら言うまでもないでしょう。しかし、いやだからこそ、難関大志望者は「インプット中毒」なる病気に罹患する危険性があるのです。知識をインプットすることは、初めは苦痛を伴いますが、次第に知識の幅が広がってゆくような、ランナーズハイにも似た快感を覚える人も出てきます。また、インプットは比較的やる気を必要としないので、だらだらと惰性で行うことができます。単語帳を読んだり、教科書からフレーズをストックしたりというのは、始めてみると意外と惰性でできてしまう「楽な」勉強なわけです。
アウトプットすることが勉強の最終目標
それに対し、得た知識の具体的な運用、つまり、英単語の知識を使って実際に長文を読む、英作文をする、世界史の論述を書いてみる、数学の解法を組み合わせて初見の問題を解く、こうしたことが実際の試験では求められます。いくら解法をストックしても、教科書を読んでも、単語帳を読んでも、その知識をどのように組み合わせて問題を解くかという訓練が足りないと、せっかくの知識が宝の持ち腐れ状態になってしまいます。したがって、アウトプットが非常に重要であることがわかります。
また、アウトプットすることが最終目標なわけですから、それに照準を合わせたインプットを行う必要があるということもわかります。つまり、勉強の基本はアウトプットであるということです。アウトプットを行う中で自分に足りない知識の存在を認識し、それを補うためにインプットを行うようにしてください。
「アウトプットが勉強の基本」とは言っても、インプットの重要性が損なわれるわけではないことに注意してください。大事なのは、「何のためにインプットを行っているのか」ということです。ともすればインプット中毒に罹患してしまいがちな受験生の皆さんにとって、この記事がその治療薬、あるいは予防薬となることを願っています。
東京大学|Y.S
東京大学法学部に在学しています。入学年度は2019年度です。少しでも早く一歩を踏み出し、継続して努力する皆さんを応援します。